価格の高さがまごころではありません。
横浜の葬儀・葬祭に関するすべてに安心料金ご対応します。

0120-957-797

24時間365日いつでも相談承ります

メール受付はこちら

葬儀の歴史2


古代、まだ医学が進歩していない頃、人々は死をどのように判断していたのでしょうか。
現代であれば、人の死は医師がきちんと判断し、この時点で亡くなりました、ということがはっきり分かります。しかし、古代においては人の生と死は、くっきり分けられるものではありませんでした。
人が死んだ、ということを判断するのには、一定の時間が必要でした。それは現代よりも、ずっと長い時間です。
この時間こそが、「殯」だったのです。この期間、人々は亡くなった人を非常に丁重に扱っていました。それこそ、食事を出したりですとか、生きている人間を扱うのと同じようしていたことが、遺跡や文献から見て取ることができます。
この期間は、現在の「通夜」の風習へとつながっているのです。

前回、「古事記」に記述されているアメノワカヒコの葬儀の際に、亡くなった人の前で歌ったり踊ったりしていた、と書きました。その理由は、亡くなった人の魂というものは荒ぶるもので、生きている人間に危害を加えるものだと思われていたからです。
「古事記」の伊邪那岐と伊邪那美の記述からも分かる通り、死後の世界、つまり黄泉の国は死体に蛆がたかっている汚い世界と考えられていました。そのため、死の世界は恐ろしいもので、生きている人間を引きずり込んでいってしまうものだと思われていたのです。死は穢れ、という日本人の死への感覚は、この頃から続いているのだということが分かります。
死や死んでしまった人の霊が恐れられていたということは、縄文時代の遺跡などを見ると、特によく分かります。それは、縄文時代の墳墓に埋葬されている遺体がヒントになっています。
縄文時代には、遺体の腕を曲げて、膝を折った状態で埋葬する「屈葬」がかなり多くなっています。また、遺体の上に石を置いて埋葬する抱石葬という埋葬方法もよく見られるのです。
これには、亡くなった人が生きているものに危害を及ぼすことがないように、という恐怖が原因だと考えられています。

このように、昔の人は亡くなった人を生きている人のように丁重に扱ったり、亡くなった人の霊を鎮めようとしたり、二つの相反する行動を「殯」で行っていました。
ここから、古代の人間にとっては生と死の間が非常に曖昧であった、ということが分かるのです。
こうした考え方は、今なお現代にも受け継がれていて、それが葬儀の儀礼の内容にもつながっていきます。次回以降も、日本人の死生観から葬儀の風習が生まれてきたのだという歴史を紐解いていきます。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です