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葬儀の歴史3


昔々の日本のお墓はどんなお墓?と聞かれて、皆様が真っ先に思い浮かべるのは古墳ではないでしょうか。
歴史で習う前方後円墳なども、昔々のお墓です。しかし、こういった古墳に埋葬されるのは、一般庶民ではなく、その土地の豪族や、または天皇でした。
巨大なお墓である古墳の中には石室が作られて、その中に棺や副葬品などが収められます。よく遺跡で発掘される埴輪も、この副葬品の中のひとつでした。
こうした古墳が作られたのは3世紀から7世紀のことです。古墳はかなり手厚い埋葬ですから、いつまでもこれを続けるわけにはいかなくなっていきます。

このような状況を受けて、歴史の教科書には必ず載っている大化の改新の時に、薄葬令という法律が作られました。
権力者の葬儀のためにこれほどの労力を費やすことは、人々の負担にあるということが理由でした。この時に、遺体を定められた場所に集めて埋葬するということが義務付けられました。これは今で言う、墓地が設定されたということです。
また、実はここで「殯(もがり)」も禁止されることになりました。現代でも殯に近いこと(つまり通夜など)が行われているのに、実はそれが禁止されていたなんて、と思われるかもしれません。恐怖や悲しい気持ちから発生した殯ですから、法律で禁止されてしまうと、その気持ちを無理に押し殺すことになってしまいます。
実はこれらは、民衆の間では引き続き行われていたのです。法律で禁止されていても、やはり殯を行わないことには気持ちの整理がつかなかったということでしょう。

また、薄葬令で一定の場所に遺体を埋葬することを義務付けたということはつまり、それ以前はどこにでも遺体が葬られていたということになります。
実際に、この時代に遺体はそこらじゅうに葬られていたようです。ほとんど死体遺棄の世界ですね。その後、平安時代になっても状況はあまり変わっていません。今昔物語などにも遺体が遺棄されている様子などが描かれていますから、ほとんど日常の風景といってもいい状態だったのではないでしょうか。
現代人からすると、遺体を遺棄するというのは犯罪ですから、信じられません。そもそも現代では土葬はほとんどの自治体で禁止されていますから、火葬しないということはかなり稀なケースです。
殯のように古代から現代にまで形を少しずつ変えて続けられている風習があるかと思えは、埋葬の仕方のように昔と今とではまったく違うこともあります。
こうした歴史を知ることは、今の葬儀の形について考えるきっかけにもなりそうですね。

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