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葬儀の歴史5


1011年、平安時代の中期、一条天皇の葬儀になると、近代や現代の葬儀に通じる部分がかなり多くなってきます。
まず、亡くなってから納棺する前に、沐浴を行ったという点です。沐浴は髪や体などを洗って清めるというもので、今でいうところの湯灌と同じようなものだと思われるものです。この作業には、僧侶も加わって行われました。現代では、納棺に僧侶が立ち会われるということが少なくなっています。納棺はほとんど、葬儀業者とご遺族様立ち会いのもと行われます。
また、この納棺の時に近親者が身代わり人形のようなものである形代を入れたということが記されています。形代のようなものを入れることは、現代の首都圏の葬儀ではほとんど行われていませんが、その代わり、副葬品を入れることは多いです。これもその、副葬品を入れるのと同じような心境だったことがうかがえます。

他にも、現代の葬儀との共通点はあります。それは、ご遺体を北枕に変えていたことです。現代では、住宅事情によって北枕にできないときもありますので、そういった時は西に向けることもあります。
この時、棺は輿に載せられて運ばれました。これは現代でいうところの霊柩車でしょう。棺を運ぶ前、出棺の際には、それに先立って儀礼も行われています。出棺されてからは、近代まで行われていた葬列も組まれ、火葬の前にも儀礼を行い、そしてこの火葬にも立ち会っています。
現代では、火葬炉の前で僧侶の読経をし、お焼香をすることが多いです。これに立ち会って、その後、火葬場の休憩室で精進落しのお食事をいただくことも多くなっています。葬儀場によっては、火葬の後に葬儀場まで戻ってきて、そこでお食事をするということも多く、どちらでお食事をするかは、半々といったところでしょうか。

そして火葬が終わった後は、拾骨も行われています。そして、帰宅の前には清めも行われています。これは、現代でいうところの清めの塩です。多くの場合、会葬礼状の中に清めの塩が入っており、自宅の玄関前などで使用する方が多いのではないでしょうか。
そして七七日忌、つまり四十九日の法要と一周忌の法要も行われています。現代のお葬式やその後の法事などと、かなり共通点が増えてきました。これが1000年以上も前のことだというのだから驚きです。かなりの部分が、現代のお葬式にまで引き継がれているのだということが分かります。しかしこれは皇族などの身分の高い人に限られたもので、こうした流れが庶民にまで及ぶのは、まだ少し先のことになります。

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