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葬儀の歴史6


時代は移り変わり、平安から鎌倉、室町へと、現代に近づいていきます。
その頃になると、貴族や武家の葬儀のやり方、次第を書いた「吉事次第」または「吉事略儀」というものができました。こちらには、現代にも通じるような葬儀のやり方が記されています。
まず、人が亡くなると「御座直し」というものが行われます。これは、遺体を北枕にし、筵の上に寝かせ、逆さにした屏風をその周りに立て、枕元には灯明を立てて消さないようにし、消臭のためと推測されるお香や酢を入れた鉢などを、遺体の鼻の近くに置くというものです。僧侶やその他の人々は、屏風の外で待機します。
これは現在でいうところの、枕飾りに近いものでしょうか。

入棺にも作法がありました。お香や土器の粉、その他にはお茶っ葉など、やはり消臭に気を使ったものを棺の中に入れていたようです。遺体は御座直しで下に敷いていた筵ごと棺に収め、枕を入れて、遺体の上には引覆という曼荼羅が書かれた布をかけます。そして、頭と胸、足に土砂加持の砂というものをかけ、そして棺を布の綱で縛ります。当時は湯灌も行われていたようです。
やっていることの差はあれど、どことなく現代の納棺の儀と似ている部分もありますね。旅支度とは違いますが、込められた意味には近いものがあるのではないでしょうか。
葬送の際には、素服という粗い布で作られた喪服が当日作られます。ものは違いますが、いつもの服とは違う、葬儀用の服を用意するという考えがあったことも、現代に通じる部分があります。
火葬をする火葬場にも、ルールがあり、まずは荒垣で囲って鳥居を建てて、その中に小屋をコツって、そこに遺体を安置します。僧侶の儀礼が終わると、いよいよ火葬です。火葬が終わったら火を湯で消して、灰を水で流し、ご遺骨は各々箸で挟んで次の人へと渡していきます。
火葬場に関しては、現代とは比べられるものではありませんが、ご遺骨を箸で挟んで拾うという、所謂拾骨は現代でも見られる風習です。

このように、葬儀にはだいぶ共通点が見られるようになっていきました。これらの他にも、共通点はあります。それは、香典です。この時すでに、武家の間には遺族にお金を渡す香典があったという記録が残っています。その他にも、位牌を持つのは家督者であるなど、今と似た形態の部分がかなりあるのです。
この時代、儀式の中心が火葬場にあるということと、現代では出棺の前に儀式の中心があるという点で、異なる部分もありますが、天皇や身分の高い貴族以外の葬儀でも、かなり現代の葬儀との共通点が見られるようになっていきました。ここから、仏教がかなり浸透してきたのだということも分かりますね。

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