価格の高さがまごころではありません。
横浜の葬儀・葬祭に関するすべてに安心料金ご対応します。

0120-957-797

24時間365日いつでも相談承ります

メール受付はこちら

葬儀の歴史7


南北朝時代から室町時代になると、歴史の授業でも聞いたことがあるはずの「惣村」というものが形成されていきます。これによって、農民たちの地域共同体ができあがっていきました。地域共同体ができあがると、領主の年貢に対する抵抗ができるようになったり、残った生産物を一括して保管するようになったりしたことで、少しずつ農村が自立して、経済的な余裕ができていくようになるのです。
すると、そうした余剰によって、寺院を支えることができるようになっていきます。この、寺院を支えるということが、仏教が民衆にも広がっていくために必要なことでした。これによって、仏教の諸宗派が地方にも進出していくようになり、寺などがどんどん作られていくようになります。

地方にまで仏教が進出していくと、それだけ仏教式の葬儀が民衆にも浸透していくということです。特に広く推し進めたのは浄土宗でしたが、それ以外の宗派も、民衆に広がる際には葬儀を中心にいていきました。そのため、ここで一気に仏教式の葬儀が広がったのです。
しかし、これで完全に仏教式の葬儀が上げられるようになったわけではありません。民衆の葬儀は、元々はその地域に残っている土着の信仰や民族によって行われていたもので、仏教が入ってきたからといって、いきなり切り替わるわけではないのです。こうした土着のものと、仏教式の葬儀が融合するという形で広がっていきます。
現在でも、地域によって葬儀のしきたりなどは変わっています。実は、そうした地域ごとの葬儀のしきたりの違いというのは、ここからきているのです。それぞれの土地にそれぞれの民族、習俗があったため、現在でもそれを引き継ぐような形で、葬儀の地域差というものが残っています。

このように、段々と仏教式の葬儀は広がっていきましたが、仏教式の葬儀の特徴でもある火葬が広がっていったかというと、そうでもありませんでした。貴族や武士の間では火葬化がどんどん進んでいってはいたのですが、民衆のレベルではまだまだ広がりは見せず、多くは土葬のままとなっています。
理由は色々ありますが、大きな問題は火葬をするための施設の用意や、火葬に必要になる燃料などの問題があったためだと思われます。そのまま遺体を土に葬るのと、火葬するのとではその労力に大きな差があります。仏教が広まったのに、火葬がそれほど広まらなかったというのも頷けますね。
とはいえ、こうして仏教が広まっていったことは、現在の私達が施工する葬儀に大きな影響を与えたということに間違いはありません。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です