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葬儀の歴史9


江戸時代は士農工商という身分制度があり、それに則って身分ごとに葬儀の基準が定められて、葬儀を簡略化するように、という政策が取られていました。
しかし、明治時代に入ると、身分制度はなくなります。すると、葬儀はどんどん豪華になっていきました。元々、民衆の間では葬儀を大きくしたいという意向が、この時代にはあったようです。
明治時代になると、それまでは夜にひっそりと行われていた葬儀が、日中に行われるようになります。明治時代以前の葬列は夜に少人数で行われていたのですが、明治になり裕福になっていった商人たちを中心に、葬列は日中に、しかも大人数で大掛かりな、見せびらかすような形になっていきました。それこそまるで、大名行列のような様子です。

変化は他にもありました。それは、棺に関してです。江戸時代は、棺と言えばほとんどが、遺体を体育座りのような形で収める座棺が中心だったのですが、明治になると、現在と同じように寝棺が増えていきます。これもやはり、お金持ちの商人の間の話でした。この寝棺を、一回限りしか使わない白木で作った腰に入れて運んでいたということです。これが理由で、宮型の霊柩車が上等なものである、というような認識がもたらされました。

大きな変化は、さまざまな葬具が登場したという点にもあります。葬列を彩るための葬具ですが、生花や造花を挿して車のように仕立てた花車や、位牌や香炉を運ぶ輿など、様々なものが誕生しました。こうしたものは、毎度毎度地域の人たちに作らせるというわけにはいきません。すると、こうした葬具を貸し出す葬具屋というものが現れます。これが、現代の葬儀社の前身となったのです。
また、大きな葬列をするためには、それなりの数の人手も必要となります。そうした人材を確保するための、手配をする業者も現れます。これもまた、現在の葬儀社の前身となるものです。
この他にも、棺や葬具を製作していたところや、造花を製作していたところ、葬儀の食品を手配していたところなどが葬儀屋へと転じていきました。当社はこれらのどれにも当てはまりませんが、かなり老舗の葬儀屋さんの中には、今でもこういった前身を持つという会社もあります。
これらは、第二次大戦の前までは葬儀の運営をする会社ではなく、ほとんどが葬具の製作や貸し出しをするための、葬具提供業を担う会社でした。葬儀屋が現在のような形になるまでは、まだまだ時間がかかるということです。

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