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葬儀の歴史10


明治時代に豊かな商人の間で流行っていた大型の葬列は、大正時代になると交通の妨げになったり、市中を練り歩いて広告を出している、というように批判されるようになっていきました。路面電車が走るようになると、それは更に加速し、急激に葬列が廃止の方向へと向かうようになっていきます。
ここで葬列に代わって台頭してくるのが、告別式です。一番初めに確認されている近代的な告別式は、歴史の教科書にも登場する中江兆民の告別式でした。中江兆民は無宗教だったため、仏教的な儀式はやらずに、無宗教で告別式を行ったのです。
これをきっかけに、大都市を中心にして、葬列から告別式と霊柩車が活躍するようになっていきます。

さて、今では当たり前となっている霊柩車ですが、一番古く記録として残っているのは、1917年のことです。大阪の葬儀業者である、駕友が霊柩車を導入しています。次いで記録に残っているのは、名古屋の一柳葬具店です。これらの葬儀社が導入した霊柩車は、アメリカ製のものでした。ビム号と呼ばれるアメリカの霊柩車を輸入していたのですが、それには彫刻などが施されており、普通の自動車よりも派手な造りになっていました。そういった点が、葬列に使われていた輿などと共通していたため、受け入れられたのでしょう。
ですがこれはまだまだ大都市での話であって、全国的に広がりを見せるのはずっと先の話になります。
ものづくりが得意な日本人は、やがて輸入していた霊柩車に、新たにアレンジを施していくことになります。それが宮型の霊柩車です。近年ではその数を減らしていますが、現在でも使われている宮型霊柩車の登場は1920年台のこと。その発祥は大阪、東京、横浜と諸説ありますが、遅くとも1927年には登場しているという記録が残されています。

葬列の代わりに行われるようになっていった告別式ですが、それに伴って発展していったのが祭壇です。元々は、現在の枕飾りに使われているような簡単なものだったのですが、段々とその規模は大きく豪華なものとなっていきました。まだまだ近年設置される祭壇ほどではないのですが、この頃から祭壇の仏具を製作するメーカーなども出てくるようになり、葬儀業界には変革が訪れていくことになります。
しかし、それらは一度途絶えることになってしまいます。その原因は、第2次世界大戦です。第2次世界大戦で日本の状況は大きく変わり、それに伴って葬儀もまたその形を変えていくことになります。

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